突然のお知らせで恐縮ですが、この5月末日をもって、北区AKT STAGEを退団することとなりました。
とはいえ、いろんな引き継ぎや講師業務は続けていたりするので、当分は出入りしているのですが、劇団員としてはいったんの区切りとなります。
1999年に、前身の北区つかこうへい劇団に7期生として入団してから、18年。
入団した年が21歳、今が39歳ですから、20代と30代のほとんどをこの北区で過ごしてきました。
つかさんの芝居がしたくて、役者として入団した当初。
初めてつかさんにちゃんと芝居を見てもらって、一目で「才能ない」と言われ(笑)「それよりお前は文章が書けるから、本を書け」と言われて(ズルズルと役者に未練を残しつつ…)脚本・演出の道を歩むことになりました。
つかさんの稽古場にベッタリついて、口立てで作られていくセリフや演出を必死にメモし、事務所でも怒涛のごとく書き直されていく戯曲を延々と打ち込み続ける日々…。
縁あって、2002年に少年隊PLAYZONE「愛史」の稽古場に参加し、憧れの銀ちゃんだった錦織さんと再会。
2003年には同じPLAYZONE「Vacation」で脚本家としてデビュー。
そこからつかさんが亡くなるまでの数年間は、長い長い一日のようでした。
劇団でも、外部でも、脚本・演出をやらせていただき、時々つかさんの芝居にも出させてもらい、児童教室や劇作家コースの講師を担当し、その間、劇団の事務所でいろんな制作業務を担当し、チケット管理や広告宣伝、WEB制作にチラシ等のデザインなどなど…思い出すだに、ほんっとにいろんなことやってきたなあ…(笑)
2010年につかさんが亡くなり、北区つかこうへい劇団が解散。
続けていこうよ、といったみんなと、北区AKT STAGEを結成。
つかさん無しでもやっていくんだと、前にも増してガムシャラに進んできた気がします。
しかしその中で、自分の作りたいものは変化していきました。
「お前は、本を書け」と言ってくれた、つかさん。
その言葉に応えるためには、自分にしか書けない本を書かなきゃいけない。
そのために、この北区AKT STAGEという枠組みは、本当に自分にとってベストなのか…そんなことを考えるようになりました。
2014年、「怪物」という作品を書いた時に、自分の方向性が決まりました。
2015年、「龍馬伝」と「戦争で死ねなかったお父さんのために」をやって、つか劇団時代にやり残していた(つかさんから話は振られたけど、実現しなかった企画でした)作品が終わりました。
2016年、AKTでは芝居作りからはちょっと離れて、講師業をがんばりながら、いろいろと考えた一年でした。
そして3月の年度末、退団を決めました。
劇団は好きだし、劇団の仲間たちも大好きで、新しく入ってきた若者たちといろいろと作ってみたいという思いもあるのですが、自分は何よりもまず表現者として成長しなくてはいけない。
こんな人たちとこんな芝居をやってみたい、という欲求を叶えるには、もっと身軽になった方がいい。
18年もいた集団を抜けるのは寂しいですが、そう決心しました。
これからは、活動の中心を9PROJECTに移して、あれこれとやっていきたいと思っています。
まあ、いっしょにやりたくなったら、やればいいだけですからね。(笑)
これからもちょこちょこと出入りは続きますし、一歩外から、良いお付き合いができればと思ってます。
北区AKT STAGEも、結成6年目になり、今、大きく生まれ変わろうとしています。
どうかこれからも、あたたかいご声援をよろしくお願いいたします。